何も始まってなかった

何も始まってなかったイメージ

何も始まってなかったイメージ

目の前の仕事でうまくいかなかったときってあると思う。

「自分の仕事に対して相手の反応がイマイチ」

「やっていることが中々成果に結びつかない」

「相手が中々言ったことをやってくれない」

 

そんなとき、こんなふうに思ってしまうかも?

「大変、もういい加減にしてよね」

「面白くないな」

「どいつも、こいつも、プンプン!」

 

そんなことが2回も3回も続くと

「もうダメだ!」ってなると思う。

 

そして、

「やっぱり自分はこの仕事向いていないのかな?」

「じゃあ、いったい自分は何をしたらいいんだろう?」

なんて思ってしまう。

 

目の前の仕事にベストを尽くしてサービスを提供した。

結果的に相手の反応は

「う~ん???」という感じであまり良くなかった。

「ベストを尽くしたはずなのになぜ?」とショックを受け、

「自分の力はこんなものなのか?」

「自分は本当にベストを尽くしたのか?」

と自分を疑い、自分を責める感情が出てくる。

でも、そんな感情を感じるのはしんどいから

(無意識に)「自分の仕事をわからない奴らが悪いんだ」

と責任転嫁して逃避してしまう。

 

そんなときは、自分にとってものすごく問題に思える。

イヤーな気持ちになる。

 

でも、それは果たして本当に問題なんだろうか?

 

自分は何にショックを受けているのか?・・・

「相手に自分が否定された」ように思っていること?

 

でもそれは本当かな?

否定しているのは「相手ではなく自分自身」なんじゃないか?

 

自分自身を否定している原因って何?・・・

「自分がうまくできなかったこと」

 

ショック・・・

 

でも、それはそんなに問題なのかな?

 

幼い子が転んだらどうすれば良い?

また立ち上がれば良い。

別にそのとき泣いても、かまわない。

また泣き止んだら良い。

第一、転ばないで成長する子なんているのだろうか?

 

相手の方も、否定したいのではなく、

「ベストなモノを得たい」

「ベストな結果を得たい」

ただそれだけなんじゃないだろうか?

 

別に「相手を責めよう」なんて意図も欲求もないと思う。

 

自分の仕事の本当の意図、目的は何だろう?・・・

「相手に良くなって欲しい」

「喜んでもらいたい」

ということではないだろうか?

 

そしたら、やりたいこと、できることって

今までとは違う視点で見えてこないだろうか?

 

相手が良くなるように、喜んでもらえるように、

さらにやりたいことを見る。

 

そのときどんな気持ちになっているだろうか?

 

そのとき「自分が一段成長している」ってことにならないだろうか?

 

「目の前の仕事がうまくいかないとき」って実は、

「こんなハードルがあるけど、本当にお前はこれをやるのか?やりたいのか?」

と神様から試されたテストみたいなものなんじゃないだろうか?

 

そう、ハードルを越えた先は『一段アップグレードした自分と世界』が待っている。

 

アップグレードの前は、

「目の前の仕事がうまくいかない」かのように見える出来事が起こる。

 

「目の前の仕事がうまくいかないとき」って

「もう終わり」なのではなく

「まだ何も始まっていない」ということではないだろうか?

 

まだまだ、誰かが良くなるために、誰かに喜んでもらうために、

そして、自分が喜び成長するために

さらにやりたいこと、伸びしろってたくさんあるよね?