こんにちは、海堀芳弘です。
自分の人生は自分で変えられる

あなたはこんなお悩みを抱えていませんか?
- 仕事がつまらない、つらい
- なんとか自分の人生を変えたい
- 心から情熱を傾けられるような仕事をしたい
- でも自分は世の中でちっぽけな存在で、人生を変えるなんてできないよな…
そんな風にお考えの方は、
もし「仕事はお金のためにやっているんだ」と割り切っている方はこの記事を読まないでください。
でも、
「なんとか自分の人生を変えたい」
「心から情熱を傾けられるような仕事をしたい」
そんなふうに思っている方には、強く聞いてほしいと思っています。
この記事を最後まで読んでいただいたあなたはきっと「人生って変えられるかも?」と思ってもらえることと思います。
厳密に言うと、変えるのではなくて、これまでの人生を置いて、新しい人生をつくるということなんですが、便宜上「変える」という表現を使いますね。
なぜライフワークを生きることが重要なのかというと、仕事時間がつまらない、自分の時間じゃないってめっちゃ不幸だと思います。
仕事時間は起きている時間の大半なわけです。その時間がつまんない時間だと、もう地獄だと思います。その時間が自分らしくないってやっぱり不幸だと思います。
あと、仕事がつまんないからストレス発散しなければならないと思います。つまんない仕事で稼いだお金を楽しいことに使うのは、エネルギー的に矛盾があるわけですよ。
そんなつまんなく仕事をしている大人の背中を見た子供の未来はどうなりますかね?
ライフワークを生きると、
- 仕事が自分時間になる
- 楽しい
- 喜ばれる
- 自分の価値に気づくことができる
- 自分を好きになれる
これらのことは、今の僕の仕事では全部当てはまっています。でも、昔の自分からはこうなれるとは全然想像もしてませんでした。
だから僕でもできたので、どんな人でも人生を変えようと思えばいつでも変えられると思ってます。
実は僕自身が「人生なんて変えられない」と思っていました

今は起業してことして21年目に突入するのですが、ライフワークを生きてます。でも起業前は自分は世の中でちっぽけな存在だと思ってました。
そんな僕の仕事遍歴の話をします。
高校時代:ミュージシャンになるしかないと思っていた
僕は高校時代はバンド活動をしてました。「将来はミュージシャンになりたい、ミュージシャンになるしかない」と思ってました。
毎日楽しかったですね。バンドの練習とか、時々ライブしたりとか、バンドメンバーと合宿したりとかもしました。
でも、高校を卒業してミュージシャンになるために上京して音楽学校に入ったんですが、みんなめっちゃ上手いんですよね。先生にも「基礎ができていないよね」と言われました。
高校では文化祭に出演してベストギタリスト賞とか貰ってたので、自分でイケてるんちゃうかなと思って上京したら、もう一番下手くそな感じだったので、一気に自信喪失しました。
それに、新聞配達しながら学校行ってたので、結構生活管理が大変でした。
朝新聞配った後に眠たいから、二度寝してしまうんですよね。そうしたら起きれなくて学校行けなくなります。そういうことが続いて、だんだん学校にも行きづらくなってしまって。
親に「新聞配達やめてもいい?」って言ったら、「帰ってこい」って言われました。そりゃそうですよね。
ここであえなくミュージシャン絵の道は挫折してしまいました。
20代:好きな仕事を模索していた
当時地元が大阪だったので、大阪に戻って20代を過ごすことになります。
「ミュージシャンになるしかない!」と思っていたので、それがなくなったら何をすればいいかわからなくて、とりあえず、バイト生活、フリーターをしてました。
工場のバイトとか引っ越しのバイトとか、クラブのウエーターとか、ホテルの配膳とか、いろんなバイトをしました。
- 工場のバイトをしたときは、ライン作業ってつまらんなと思って、「これやってたら人間ダメになってしまいそう」と思いました。
- 引っ越しのバイトをしたときは、身体を使う仕事って一生できないなって。やっぱり頭使う仕事しなきゃなって思いました。
- クラブのウエイターやホテルの配膳のバイト:元々人見知りな性格なんで、強制的に人前に出る仕事をやってみようと思いました。意外に人と接する仕事は楽しかったのですが、自分を偽って人に合わせないといけないところがあって、ちょっとしんどいなと思った面もありました。
そうして、音楽は挫折したけど、何かを自分で作ったり考えたりするクリエイティブな仕事がいいなと思いました。
そんときにちょうどテレビでショッププランナーという仕事を知りました。「これ面白そうだな」と思って、京都の店舗ディスプレイの会社に就職したんですね。
でも入社してみると、出張や現場作業ばかりでした。ほとんど年に半分ぐらい東京の百貨店の新店オープンの現場出張に行ってました。
そうこうしてるうちにある日、東京の部署に転勤の辞令が出ました。多分ですが、出張行ってたときに東京の先輩たちに気に入られたのもあったと思います。
でも会社の都合で自分の勤務先を決められるのはなんかイヤだったんです。地元でバンド活動もやってたのもあって転勤を断ったら、「転勤はサラリーマンの義務や」って上司に言われました。そう言われて当時の僕も「なんて理不尽なこと言うんだ!」って思ってましたけど、今振り返ると僕の感覚は正しかったのがわかります。時代の流れですね。そしたらそ社内の倉庫部門に左遷されました。
しばらくその倉庫部に勤務していました。いい人ばかりで居心地はとても良い職場だったのですが、やっぱクリエイティブな仕事がしたいなと思っていました。
そんなとき、会社の偉いさんと話す機会があったので「僕はデザインや企画・設計がしたいんです」って伝えると「デザイン部に入るのはやっぱりデザイン学校から募集してるからな」と言われました。
「やっぱり学校行かなあかんな」と思って会社を辞めて、翌年からインテリアデザインの専門学校に行き直すことになりました。
専門学校卒業したら就職氷河期に突入
専門学校に行ってデザインを勉強して、卒業するってなったときに、ちょうど就職氷河期に突入してしまいました。同じ歳の大卒の友人はバブルが弾ける前に就職していて、結構売り手市場でバブリーな待遇をされた話を聞いていました。でも僕は専門学校では4つ下の子と同級生になるので、全然就職先が見つからなかったんですね。
でも、なんとかグラフィックデザインの会社に就職できました。
好きな仕事のデザイン会社に入っても…
だけど、好きな仕事のデザインの会社に入ったんですけども、仕事がだんだんつらいつまんないものになっていってしまいました。
繁忙期のときは毎日終電ギリギリまで仕事をしていました。長時間働いても、やっぱりデザイナーって給料安いんですよね。
デザイナーは一般的に、考えたり、設計したりする仕事ってイメージがあると思うかもしれませんが、実際には大量の仕事をこなしていく作業的な仕事が多かったです。1日100枚パネル作ったときとかもあったので、「まるでライン作業の工場の仕事と一緒やん」と思っていました。
でも、おかげでMACの操作や、今のコンテンツ作成に役立つデザイン能力はマスターできましたし、お客さんのところに打ち合わせやプレゼンするときはクリエイティブな仕事だったと思います。
入社して5年くらい経って仕事も一通りできるようになったころ、ふと周りの年配の先輩を見ると、全然楽しくなさそうに仕事してるんですよね。何か自分を無くしてるようなな感じでした。「僕もこんな風になるのかな」と想像して「絶対イヤだ!」と思いました。
「じゃあ、どうするよ?」って思っても答えが見つからず、その問題を先送りにしてました。3年ぐらいその問題に蓋をして逃げていたんだと思います。でもどこかで言い聞かせるように「世の中、仕事ってみんなそんなもんだよ」と思い込もうとしてました。
人生の転機が訪れる

突然会社を退職することに
それから月日は流れ、突然会社を退職することになりました。会社の上司と衝突してしまいました。一瞬で「もうこんな会社辞めてやる!」って決断しました。
でも「これからどうするよ」と思いながらその日の帰り道にフラッと寄ったいつもの本屋で、それまでは立ち寄ったことのないビジネス本のコーナーに吸い込まれていきました。
そして1冊の本の表紙が目に飛び込んできました。
その内容は当時の僕にとっては衝撃的でした。今まで思い込んできた真実とは全く違う世界でした。「ホンマかな?」と思ったけど「ホンマやったらチャレンジしてみたい」と思いました。
そして会社を退職することになりました。
起業前の勉強期間
退職てからは起業目指したのですが、「俺って起業も経営も全然知らんな」ということに気づいて、「勉強せな」と思って家内に頼みました。
「頼む、1年間勉強させてくれ、幸せに成功したいんや」
と訳のわからないことを言ってしばらく起業の勉強に専念させてもらいました。
家内もこのときは「ついにこいつ頭おかしなったか」「宇宙人が何か言うとる」そんな風に思っていたそうですが、それを容認してくれた家内にやっぱり感謝ですよね。
本や教材を購入して勉強したり、セミナーに京都から東京まで参加したり、自己投資にいくら使ったか分かりません。高級車が買えるくらいは使ったと思います。
それからあれよあれよと時間は経って、1年半勉強して、いろんな世界を知ったり、いろんな人の出会いがありました。でも、何も現実は何も変わっていませんでした。
家内に「そろそろ働いてくれんかな」って言われました。当然ですよね。
バイトの面接に何社か行って、どうせなら起業に役に立つ経験ができるように営業の仕事にしようと思いました。そして、1社から採用の連絡が来たんですけども、直感的に「イヤだ!」と思って断ってしまいました。
後から振り返ると、その選択によって自分の人生の向きが変わったんだと思います。
起業生活のスタート
そしたら、以前参加したセミナーで知り合った経営者から電話がかかってきました。「うちの会社ちょっと見てくれないかな?デザイナーやってたよね…」
そして何回かその経営者の会社に行って話を聞いてるうちに、「毎月来てくれへんかな、きちんと費用を請求してもらって」っと言われました。3万円の顧問契約が決まった瞬間でした。それから税務署に個人事業主の開業届を出しに行って、起業生活が始まることになりました。
でも、開業届出したからって、最初は起業してるという実感は持てませんでした。開業届出して仕事してるうちに、だんだん起業家としての実感が当たり前になってきました。やっぱり行動してから後で感覚がついてくるっていう感じなんですね。
起業後はどんなふうになったかというと

ホームページ作成事業を始める
人との出会いからいろんな経営者を紹介されることがありました。
その中からホームページ作成を依頼されて、ホームページ作成事業を始めました。始めたと言うよりは、依頼されたからはしまったのです。それまでホームページを作った経験はなかったのですが、頼まれたので作るしかなかったんですね。でも色々と勉強したら作れました。そこから今のコンテンツ作成の仕事のベースにつながることになります。
コーチング事業を始めることに
コーチング事業を起業してすぐぐらいにやってました。僕の起業の相談がてら、コーチをやってる先輩経営者に、僕がクライアントとしてコーチングをしてもらってたんですね。
このコーチング体験は自分の内面の変革が促されてとても良かったです。だからマインドセットっていうのはすごい重要だなって改めて思って。
そのコーチの先輩の人に「かいちゃん(僕のこと)はコーチ向いてるからスクール申し込め!」って、コーチングスクールのコースに申し込まされました。😆まあ、自分で決めましたけどね。
最初は知り合いに声をかけてクライアントになってもらって、一時は10人ぐらいとコーチングをしてましたね。なぜか主婦の人が多かったですが、色々女性的な視点や悩みというか感覚を学ばせていただいて、僕の視野もだいぶ広がったと思います。
セミナー事業を始めることに
セミナー事業も同時期に始めました。きっかけは、セミナーやってる経営者の先輩のセミナーにアシスタントとしてついていく機会がありました。
そしてあるとき「次回、講師やれ!」って言われて、急にセミナー講師デビューすることになりました。「あの~僕、何の実績もないですけど」って言うと、「今まで体験した話をしたらいいねん」みたいな感じで言われました。でもやればできるもんなんですよね。
セミナー講師なんて、ビジネスで成功した人が集大成的にやるものと思っていたので、ビジネスで成功する前にセミナーやるなんて想像もしていませんでした。
その勢いで、自主開催のセミナーを始めることにしました。
先輩に「セミナー成功のコツは先に日時と会場を決めることや!」と言われ、「そうなんや」と信じ込んで日時を決めてセミナー会場を予約しました。そういう行動はめっちゃ早かったと思います。
自主開催セミナーはコンサルティングのクライアントの集客のために始めたんですけども、まあ、人集めは大変でしたね。でも、自分のコンテンツを作るきっかけにはなりました。人前で話す練習にもなりましたしね。
起業3年後の成果
そんなこんなで開業届けを出して3年後、サラリーマン時代の年収を売上ベースですけれども超えることができました。
そこから順風満帆かというとそうでもなくて、いろんなことがあったけど、その話をここで話しちゃうと1週間ぐらい、いや、もっと掛かるかな。なのでまた機会があれば、分割して話していきたいと思います。
起業して今期で21年目に入るんですけども、なんとか生きてます。会社を退職するあのときに行動を決意できたおかげでこの生活を生きていることにやっぱり過去の自分に感謝してます。
今、ライフワークを生きている
今そうして僕はライフワークを生きてるんですけども…
- やりたい仕事をしている
- やりたい条件で仕事をやらせてもらってる
- 付き合いたいお客さんと関わらせていただいている
- お客さんにいつも良くしてもらってる(これ本当に感謝ですね)
- 朝、好きな時間に起きてます
- 今日、基本的に何をしてもいいですね
- 気が向いたらどこかに出かけることができてます
- 平日に家内から要請があればどこにでも出かけられます
- 贅沢はできないけど買いたいものを選べます
そんな生活が実現しています。まあ、お得感、数量限定、期限などをつけると、人は反射的に購入に進んだりするので効果はあるんですけどね。
僕が体験から気づいた人生の秘訣

仕事時間がつまらないのは不幸
もし会社員だとしても、仕事時間は会社の時間じゃなくて、自分の時間を使ってるわけですよね?だったらそれは、会社のために働いてるんじゃなくて、自分の人生の大切な時間を使って働いてるから、その仕事時間がつまらないってのは、自分を拷問してるようなもんだと思うのです。
人生って本当に短いです。自分を拷問している暇、時間があるほど人生は長くないと思います。も今僕は50代だけど、20代なんてついこの間という感じです、いや、大袈裟じゃなくてホンマにね。だからあっという間にすぐ死ぬときが来ると思うんですよ。だから時間がないんです。だからこの瞬間からやりたいことやらないとと思います。
まず自分の可能性を知ること
自分の可能性を知ることですね。自分で自分の人生って創れるんです。僕でも創ってきたので、やっぱりみんなできると思います。
今思っていることは、自分が「そうだ」と思ったことが現実化します。自分が「当たり前」と思えたことが現実化するのです。
自分が会社員時代のときだったら、起業するのは大変難しいことだなと思ってたけど、今の自分はこの生活を20年以上続けているので日常、もう当たり前の世界なんです。だから毎日現実化してるんですが、将来そうなりたいことも「当たり前」にしていけばいいってことなんです。
そのためには、僕が起業時に開業届を出したように、そうなりたい状況に必要な行動を先にしていくことが大事だと思います。
自分の価値を知ること
仕事って世界に貢献することだと思うんです。仕事で稼いだお金で貢献するんじゃなくて、人や社会に貢献できることをやるから仕事が成り立つと思います。
話はそれますが、浄財って言葉がありますけれど僕はあまり好きじゃありません。なぜって人や社会に貢献した対価としていただいたお金をなんで浄化しなきゃいけないんですか?元々尊いお金なのに。
話を戻して、自分が世界に貢献できることって、自分が心底やりたいことっていうのが、やっぱりやってて疲れないし、自分が世界、社会や人に貢献できることにつながってると思うんですよね。
自分がやりたいことをやるっていうのは、わがままじゃなくて人のためになることっていうことです。そして人のためになることをしたお金だから、ありがたくいただく。
お金をたくさんいただくことは悪いことじゃないので、逆にお金をたくさん払ってるっていうことは、その人がそれだけの価値を得てるってことなので、全然悪くないことなんですね。
やりたいことをして喜んでもらって入ってきたお金はエネルギー的にも最高だと思うんですよ。だからそんなやっぱり大切なお金だし、すごく楽しいことでお金をいただいたので、そのお金の使い方もこだわるように、よりお金が大切なものだなと思うようになりました。
自分が心からYesだと思うお金の使い方をしてたら気持ちいいものです。やっぱり憂さ晴らしにお金を払ったり、欲しくないものを、例えば見栄のために使ってたらやっぱり虚しいと思います。やっぱり今は、お金の使い方も変わりました。
まとめ

こんな悩みを抱えたときは…
- 仕事がつまんない、つらい
- なんとか自分の人生を変えたい
- でも、自分は世の中でちっぽけな存在で
- 「自分の人生を変えるなんてきっとできないよな」と思っている
実は自分の人生は自分で変えられるっていうことなんですね。これは何歳になってもです。歳は関係ないです。
厳密に言うと、変えるっていうことではなくて、これまでの人生を置いて、新しい人生を創っていくということ。
ライフワークを生きると
- 仕事が自分時間になります
- 楽しいです
- お客さんに喜ばれます
- お客様に喜ばれたら、自分の価値に気づくことができます
- そんな体験をしてる自分を、自分の人生を好きになれます
- 仕事時間がつまらないっていうのは不幸です。自分の大切な時間をダメにしてるって、自分拷問にしてるっていうことに気づくこと
- まず自分の可能性を知ることです。自分で自分の人生は創れます
- 自分の価値を知ること、自分の価値を必要な人に届ける活動がライフワーク
- その自分の価値を必要な人に伝えることがWEBコンテンツ作成&発信
人生を変えたい人は、ぜひこの記事を何回も読んでください。
最後にあなたに質問です。
ぜひ言語化してみてください。言語化することでご自身の思考はパワーアップします。
あなたが少しでも元気になれたらうれしいです。
今日もここまでお読みいただきましてありがとうございました